設計と価値の共創論 - 製品,サービス,そして人工物 -
価値の概念を中心として,関連する設計工学分野の動向を概観し,理念的設計への架橋とする
- 発行年月日
- 2024/07/22
- 判型
- A5
- ページ数
- 232ページ
- ISBN
- 978-4-339-04707-3
- 内容紹介
- まえがき
- 目次
- レビュー
- 書籍紹介・書評掲載情報
- 広告掲載情報
【読者対象】
価値とは何か? 私たちはいかにその本質を知り,それを正しく満たし得るのか? 本書は工学を起点としつつ,哲学を含む分野横断的な議論を展開し,社会のこの根源的な問いに対する一つの答えを提示します。ものとサービスの設計の思想,設計の戦略,設計の手法に興味と関心を有する工学分野に限らない幅広い読者を対象として想定しています。「広義の設計者」を目指す大学生や大学院生,企業の設計者,研究者,企画開発者,経営者だけでなく,自治体,公共団体における施策設計に携わる方,高校生や一般の方々など,様々な読者に価値の意味と設計の在り方を考えて頂くきっかけとなる内容となっています。
【書籍の特徴】
本書では,価値という誰もがそれを重要であると認識しつつ,その実態を理解しづらい概念を務めて簡潔に再定義することを試みました。ものとサービスの設計を介して,私たちはいかに価値を知り得るのか? いかに満たし得るのか? この問いに対して,過度に専門的で難解な説明に陥らないように,一般的な用語で分かり易く説明し,より多くの方々に関連する問題の重要性を知って頂き,今後の議論と設計に参加する意識を持って頂くことを目指しました。価値を充足するという目的のもとで,社会で極めて広く,誰もが行う一般的な思考であるにも関わらず,ややもすれば工学やものづくりの限られた領域に閉じて議論されがちである設計という概念を,意味,意義,成り立ち,手法,そしてそこに生じた新しい変化と今後の方向性という複数の観点から,事例を交えて横断的,網羅的かつ簡潔に紹介しています。価値と設計の本質を知る入門書として利用して頂くほか,永らく手元に置いて字引的にも活用して頂けるように資料的価値も高まるように努めました。
【各章について】
1章では,本書における導入の章としての位置づけのもとで,人工物の定義と歴史,存在意義を振り返り,設計と呼ばれる人の創造行為が果たした意味を再考します。
2章では,現代社会において価値は創り出すものであること,価値の創造と提供に共感が果たす役割を解説しながら,今後の設計の方向性を示す理念的設計(プラトニックデザイン)の思想を紹介します。
3章では,過去から現在にいたる価値概念の系譜を俯瞰します。さらに近年の価値観における象徴的な概念を紹介し,それらが登場した社会的な背景を解説します。
4章では,科学と工学に古くより存在する関係,新たに生じつつある関係を論考します。さらに,人の思考の類型の観点で設計の過程を整理します。
5章では,誤り得る推論,限定合理性という人の限界がもたらす可能性を論考します。アブダクション・創造・共感の関係について解説します。
6章では,サービス化が製造業を中心とする実業にもたらした影響と,そこに浸透しつつあるサービス設計の手法を紹介します。
7章では,共創的な設計の実際を紹介します。社会的な価値と影響を考慮した設計,人間中心設計,参加型デザイン,リビングラボなどの取り組みを参照しながら,社会の要求に応えるために生じた設計の変化を概説します。
8章では,社会と人工物の間に生じる共進化と呼ばれる関係を再考し,人工物の社会実装に関する課題を整理します。
9章では,時間と価値の関係を議論します。時間軸上で価値を設計する試みに寄せられている社会の期待について解説します。
10章は,本書の終章として,「設計工学のフロンティア」を素描します。設計の発展に寄与すると期待される関連領域を予想し,価値を中心とする設計の将来像を提示します。
【著者からのメッセージ】
科学の本質は,事象の真実を明らかにし,その結果を整理し体系化することです。他方,自然には存在しない人工物を産み出すことはこれとは異なり,誤り得ることを認める,設計という思考により為されます。設計の目的は,事象を明らかにすることではなく,事象を実現することにあるのです。結果として,科学性を重視する工学教育の場では,この意味に沿う設計の教育は整備も提供も十分にされていないのです。主観に基づく「価値」の話題が工学から遠ざけられ,避けられて来た理由もここにあります。設計において,本来は最も重要であるはずの,なぜつくるのか,何をつくるべきか,何をつくらざるべきかを明らかにする知は,工学はおろか設計に関係する学際においても正面から扱われることは殆ど無かったのです。そしてこの大きな矛盾は,工学と社会の間に大きな乖離を招いています。本書はこの矛盾の存在とその解決の重要性を先ず工学の立場から指摘し,この議論が社会に広がることを願って執筆しました。本書の書名はダブルミーニングになっており,一つは「設計」と「価値の共創」の関係を論じること,一つは,「設計と価値」の「共創」を論じることです。本書を通じて,より多くの方にこれらに係る議論に参画して頂くことを願っています。
【キーワード】
価値,設計,共創,共感,アブダクション,プラグマティズム,イノベーション,サービス化,サービス工学,設計論,設計方法論,理念的設計
設計。総画数・20のこの語の一見の印象は厳めしい。一方でその意味は,ものを創ることに係る思考と行為を指すことから,ものづくりの体系たる工学を学ぶ,あるいは行使をするものにとって,これほどに身近で,本質的で,かつ大切な概念もないであろう。では工学を学ぶ場において,設計はその中心に位置づけられ,設計の学びの大系と呼べるものが網羅的に整備されているのだろうか。残念なことにその答えはイエスとは言いがたい。その理由は,我々の「ものを創る」という思考と行為の特殊性にある。社会において我々が正当な知識であると認める際の基本的な条件とは,当該の命題に対して科学による裏づけがされることである。そして科学の本質とは,「分析」により事象の真実を解明することと,その結果を整理し体系化することである。しかし元来,自然には存在しないものを人の手により生み出す行為の総称であるものづくりは,主としてこの分析とは異なる,ある意味でその逆操作とも言える「統合」の,そして可謬の(時に誤り得ることを認める)思考によりなされるのである。つまり設計の目的は,事象を解明することではなく,事象を実現すること,存在せしめることにある。そして,単純に科学によってもたらされる知見を,いわば要素還元的に適用するだけでは,設計はかなわない。既存の科学の大系を学ぶことと設計を学ぶことは本質的に異なるのである。結果として,健全なアカデミズムと科学性をもっぱら重視する過去の工学の教育の場では,この意味に沿う設計の教育は整備も提供も十分にされなかったのである。
これとは別に,過去の工学の大系に設計が正しく包含されなかったもう一つの理由が存在する。それはものづくりの真偽,正誤が一意ではないこと,主観や文脈によりその内容は異なり得るということである。このものづくりの性質は,科学が重んじる客観性,再現性,絶対性と両立しない。主観に基づくことを本質とする「価値」の話題が永らく工学や設計の議論から遠ざけられ,避けられてきた理由もここにある。言い換えれば,ものづくり,設計において,本来は最も本質的で重要であるはずの,なぜ創るのか,何を創るべきか,何を創らざるべきかを明らかにするための知は,工学はおろか設計に関係する学際においても正面から議論されることは現在に至るまでほとんどなかったのである。そしてこの大きな矛盾は,結果として実学たるべき工学と社会のものづくりの間に決して小さくない乖離を招いていたのである。しかし社会における価値に関する議論の高まりと,設計が社会に与える影響の大きさに対する認識の広がりに伴い,いまや工学や設計において価値を論じることの必然性が多くの場において強く指摘されている。つまり,工学と設計にはこの社会の要請に応えるための変化が求められている。
我々は多くの社会問題に苛まれている。そしてそれらの問題の根底に自身のものづくりがさまざまなかたちで関与していることを我々はすでに知っている。すなわち,この状況を改善できる「新しい実学」に昇華することもまた工学と設計に求められている進化なのであり,そのためには改めて設計の本質と理想を哲学的に論考し直すことを我々は避けて通れない。言い換えれば,最適な形状,材質,構造,製法を明らかにするという既存の工学の視点だけでは,眼前の問題を解決することはできないのである。しかしながら,ここでいう哲学的な論考を工学や設計の領域で実践することは決して容易ではない。哲学的な話題に触れることにすら大きな抵抗が生じることは想像にたやすい。しかしいま我々は,工学と設計においてこそ,この社会的な要請から目を背けず,正面から思考を巡らせる必要に迫られているのである。
あえて言おう。存在させる力を手にする者が,存在そのものに係る議論をする術を持たないいまの世界は,あまりに危うい。
本書の執筆の動機は,編著者である私が永らく,絶えることなく感じ続けていた,工学と設計における上記の矛盾の存在を起点とし,社会の新しく,そして強い要請に応え得る設計工学のフロンティアを展望するとともに,そこへ架橋をすることにある。そしてこの内容を単に工学の近傍で行われる哲学的な論考やアカデミックな議論に終わらせるのではなく,些少であるとしても工学と設計そのもの,そしてそこにおける教育に係る議論に一石を投じ,今後の社会にふさわしい設計を可能とする人材育成の一助となることを心から強く願っている。
以上の動機のもと,本書はまず,設計と創造の関係という視点で議論の端緒を開く。そしてその内容を踏まえて,広く知られる設計の類型を紹介しつつ,科学・工学・設計の関係を改めて整理することを試みた。続いて,設計における「統合」のあり方を知る上で重要な意味を持つ,人の思考の特徴を整理した。加えて,価値と呼ばれる概念についての哲学的論考の変遷を努めて平易に俯瞰しつつ,現代社会における価値論をわかりやすく,かつ設計の視点から総括することに挑んだ。そして,価値を充足する手段としての設計のあり方を従来の工学の枠組みにとらわれることなく広く議論し,その社会における展開を示す一例としてサービスやそれを内包するより広い社会システムの観点での設計の実情と今後の可能性を提示することも併せて試みた。
以上を踏まえて,本書は以下の構成をとっている。
第1章では,本書における導入の章としての位置づけのもと,本書が設計の対象として広く知られる製品にとどめず,その上位概念である人工物を対象として議論を進める理由を述べる。そして製品を含む広義の設計の対象である人工物の定義と歴史,存在意義を振り返り,そこにおいて設計と呼ばれる人の創造行為が果たした意味を価値の観点から再考する。
第2章では,哲学と社会のイデオロギーの関係を整理する。現代社会において価値は創り出すものであること,価値の提供において共有と共感が果たす役割を解説するとともに,今後に目指すべき設計の方向性を示す理念的設計(プラトニックデザイン)の思想を紹介する。
第3章では,過去から現在に至る価値概念の系譜を俯瞰する。さらに近年の価値観における象徴的な概念を紹介するとともに,それらの概念が登場するに至った社会的な背景を解説する。
第4章では,設計を人の知的な振る舞いとして再考する。科学と工学の二つの領域に古より存在する関係,そしていま新たに生じつつある関係を論考する。さらに,演繹と帰納という人の思考の類型の観点から設計の過程を整理する。
第5章では,推論の可謬性がもたらす創造,限定合理性という人の限界がもたらす可能性について論考する。abductionと創造の関係,abductionと共感の関係について論述する。
第6章では,社会における価値概念の変遷に呼応して生じたサービス化と呼ばれる変化が,製造業を中心とする実業のあり方にもたらした影響と,そこに浸透しつつあるサービス設計の具体的な手法を紹介する。
第7章では,第6章の内容を受けて,共創的な設計の意義と実際を述べる。社会的な価値と影響を考慮した設計,人間中心設計,参加型デザイン,リビングラボなどの取り組みを参照しながら,社会からの要求に応えるべくして設計に生じた変化を概説する。
第8章では,システムの概念に基づき,社会と人工物の間に生じる共進化の関係を再考し,人工物の社会実装に関する課題を整理する。また,社会実装に関する具体的な話題として,社会技術システムが抱える高次の社会課題についても考察する。
第9章では,時間軸上での価値の設計を論じる。また,前章で提示した社会技術システムの課題に関連して,時間軸上で設計するという試みに対して寄せられている期待を論考する。
第10章は,本書の終章として,前9章を通じて鳥瞰したトピックを総括し,我々から見た「価値設計のフロンティア」を素描することを試みる。今後の価値設計の発展に寄与することが期待される他の領域についても予想し,価値を中心とする設計工学のフロンティアを示す。
本書では,価値の概念を中心に据えつつ,これに関連すると思われる既存の設計工学分野における最新の動向に広く言及することにより,理念的設計への架橋とすることを意識した。現在に至る価値とものづくりの関係に係る歴史的経緯をも踏まえて,私の思想にご賛同をいただいた4名の方々に執筆の分担をお願いし,この5名がそれぞれに感じ続けていた工学と設計における矛盾を解明し,その解消の糸口を見つけることを試みた。本書の全10章を通じて提示した設計と価値のあり方に関する考え方は,時にまだまだ抽象的で具体性に乏しく,また編著者らの固有の偏見が含まれているかもしれない。しかしそうであっても,本書が,さまざまな設計を通じて今後の社会を支える人材により,社会にふさわしい設計の意味が各自なりに解釈され,また,その実践の方法が熟考される上でのわずかな材料,議論を始める上での小さな口火となることを,我々は心より願ってやまない。
2024年5月
下村芳樹
1. 設計と創造
1.1 製品,サービス,そして人工物
1.2 人工物と設計
1.2.1 19世紀の人工物
1.2.2 20世紀の人工物
1.2.3 21世紀の人工物
1.2.4 人工物発展の軌跡
2. 社会問題と設計
2.1 社会問題と創造
2.2 社会問題の深因と日本の固有性
2.3 イデオロギーの背景
2.4 memento moriの戒告
2.5 理念的設計(プラトニックデザイン)の思想
3. 価値の変遷
3.1 設計と価値
3.2 新しい価値観
3.3 工学における価値
3.4 価値共創
4. 設計の形態
4.1 工学と設計
4.2 工学設計の形態
4.2.1 Asimowの工学設計
4.2.2 Archerのシステマティックモデル
4.2.3 PahlとBeitzの製品開発プロセス
4.2.4 最適設計
4.3 設計の論理
4.4 一般設計学の世界
5. 設計とabduction
5.1 なぜ価値創造か
5.2 合理性の限界
5.2.1 Condillacの思想
5.2.2 Wittgensteinの言語ゲーム
5.2.3 限定合理性
5.3 創造とabduction
5.4 イノベーションとabduction
5.5 創造性の涵養方法
5.5.1 ブレインストーミング
5.5.2 KJ法,親和図法
5.5.3 TRIZ
5.5.4 SECIモデル
5.5.5 serious play
5.6 創造的設計の支援の試み
6. サービスの価値と設計
6.1 社会におけるサービス化の進展
6.1.1 製造業のサービス化
6.1.2 サービス化の効果
6.1.3 デジタル化によるサービスの進展
6.2 サービスの理論
6.2.1 サービスの捉え方
6.2.2 サービス・ドミナント・ロジック
6.2.3 使用価値
6.3 サービスの設計
6.3.1 サービス工学
6.3.2 サービス設計学
6.3.3 サービスデザイン
6.4 デジタルテクノロジーとサービス
6.4.1 スマートなサービス
6.4.2 スマートなサービスの設計
7. 共創の設計論
7.1 共創的なデザインアプローチ
7.2 人間中心設計
7.2.1 HCDとUX
7.2.2 HCDのプロセス
7.3 参加型デザイン/CoDesign
7.3.1 参加型デザイン
7.3.2 CoDesign
7.4 共創のための手法
7.4.1 フォーカスグループ
7.4.2 generative design tool
7.4.3 スキット
7.5 パタン・ランゲージ
7.5.1 パタン・ランゲージとは
7.5.2 パタン・ランゲージの活用方法
7.6 リビングラボ
7.6.1 リビングラボとは
7.6.2 リビングラボのタイプ
7.6.3 オープンデザインとリビングラボ
7.6.4 リビングラボの進め方
7.6.5 リビングラボ実践のノウハウ
8. システムと設計
8.1 システムとは何か
8.2 さまざまなシステム概念
8.2.1 社会技術システム
8.2.2 製品サービスシステム
8.2.3 サイバーフィジカルシステム
8.3 システムの多層的フレームワーク
8.3.1 システム・アーキテクチャ
8.3.2 マルチレベルデザイン
8.4 システムのデザインアプローチ
8.4.1 システムズ・エンジニアリング
8.4.2 ソフト・システムズ・アプローチ
8.4.3 システム・ダイナミクス
8.5 社会的影響とデザイン
9. 価値と時間軸
9.1 価値と時間
9.2 時間の性質
9.2.1 不可止性と不可逆性
9.2.2 普遍性と唯一性
9.2.3 確実性と不確実性
9.3 時間と変化
9.3.1 時間とスケール
9.3.2 意図に基づく変化の分類
9.3.3 文脈の時間変化
9.4 時間軸のマネジメント
9.4.1 シナリオ・プランニング
9.4.2 トランジション・マネジメント
9.5 時間軸の設計方法論
9.5.1 アップグレード設計
9.5.2 UXデザイン
9.5.3 価値成長デザイン
9.5.4 PSSのタイムアクシス・デザイン
9.5.5 デザイン・フィクション
9.5.6 トランジション・デザイン
9.6 時間軸設計への期待
10. 価値設計のフロンティア
10.1 理念的設計(プラトニックデザイン)の実現に向けて
10.2 理念的設計のプロセス規範
10.2.1 人工物を共創する―二つのレベル―
10.2.2 設計のスコープを動かす―外部要因の包摂―
10.2.3 インパクトを継続的に評価する―プロジェクトからプロセスへ―
10.3 工学的設計の可能性
10.3.1 プロセス化の視点
10.3.2 モデル化の視点
10.3.3 知能化の視点
引用・参考文献
あとがき
索引
【書評】産業技術総合研究所 フェロー 持丸正明 様
企業の方々と話をすると、機能や性能ではなく価値を創り出さなければならない時代なのです、とよく言われる。本書は、そのような価値創出の時代を乗り切らなければならない企業実務家に是非とも読んでいただきたい。そもそも、「価値」とはなんであるのか、その学術的系譜も時代的変遷も実に簡潔明快にまとめられている。「価値」の定義も知らず、ただ創り出せと命じている上司への回答に向け、本書はしっかりとした考え方の基盤を与えてくれる。その上で、「共創」「設計」「イノベーション」という価値創出のためのバズワードも、体系的に整理して位置づけてくれている。もしかすると、実務家の方は本書前半の学術的、体系的な整理が苦手かもしれない。心配せず、その場合は、前半を斜め読みしていきなり第6章あたりから読んでみることをお薦めする。実は、本書後半には、共創やイノベーション、さらに創造性を産み出す方法論が、具体的、網羅的に書き込まれているのである。本書が学術書にとどまらず、実務家にも役立つ手引き書でもあるというのはここである。
さて、もうひとつ、本書の魅力は第9章の「価値と時間軸」にある。VUCAと呼ばれる予測困難な時代において、価値の時間軸をどう描くのか、その答えは読者の皆さんがそれぞれに探すものであるが、本書第9章ではその時代に向けたさまざまな知恵と思いが語られている。製品・サービスの価値がクラスIII型の共創型価値にシフトしてきた頃から、VUCAは始まっていて、下村先生らのチームは誰よりも早くこれに挑んでこられたとも言える。だからこそ、本書第9章には、予見困難な未来の価値に対応できるよう製品・サービスをどう設計しておくべきかの苦労と夢が詰まっているように感じた。
学術書だと思わず、実務書だと思って是非とも手に取っていただきたい。下村先生の講演を聴かれてなんとなく分かった気になっている方々にも強くお薦めする。講演と違って書籍はなんどでもページを戻り、自分が理解できるまで確認できるのだから。
【書評】東京大学人工物工学研究センター センター長 高橋浩之 教授
本書「設計と価値の共創論」は人工物工学の系譜をたどりながら、筆者らが取り組んできた共創の視点を織り交ぜ、現代の設計の全体像を俯瞰し、将来の設計の在り方を提示したものであり、野心的な試みをコンパクトにまとめられた貴重な書である。本書ではまず、人類史における人工物の誕生から、その変遷を辿り、サービスなど無形のものも人工物としてとらえ、そのときどきの社会を変革させることにつながったような、人による創造の歴史を示すとともに、人工知能・ロボット・宇宙開発など今後の更なる発展を見据えて、社会との関連を捉えつつ人工物の設計の重要性を説いている。次に、価値について、本書では設計との関連から、哲学の領域にも踏み込み正面からとらえた議論を展開した上で、工学的な価値・価値共創の概念を提示している。一方、設計については、通常用いられている工学設計の考え方と手法から始め、一般設計学の内容を紐解いた上で、設計とabductionによる創造~創造的設計支援まで詳細に論じている。Universal Abduction Studioなどの設計支援システムとLLMによる拡張の可能性については、今後の展開として興味深い。なお、abductionについて、初学者向けにもう少し解説があるとよいと思われる。その後、サービスの価値と設計について議論がなされ、無形性・消滅性などモノとは異なる特性を有するサービスを人工物として捉えた設計論が展開され、ペルソナ・シナリオなどを用いたサービス設計のための方法論が紹介されている。さらに著者らは共創の設計論に踏み込み、人間中心設計・参加型デザインなどを紹介した後に、共創のためのpattern languageやリビングラボなどの具体的な手法を提示している。これらの設計に関する考え方と方法論を踏まえた上で、システムと設計の全体像を示し、製品サービスシステム(PSS)などの具体的な描像を与えるとともに、システムズエンジニアリングなどのアプローチとそれらを適用して作られるシステムの社会に及ぼす影響までを記述している。本書ではまた、価値と時間軸の章を設けて、シナリオプランニングやトランジションマネジメントなどの時間軸マネジメントの手法を示した上で、時間軸を考慮した設計のあり方についての議論を展開している。終章である価値設計のフロンティアにおいては、人工物が人の欲望を満たすように設計されてきたことが現代の邪悪の原因になったと指摘し、プラトニックデザインに向けて規範を持ち込むことがその解決になることを述べ、規範は共感を通じて醸成されると、筆者らの高い精神性を示している。
各国が自国の利益を追求するあまり、対立が深化し、不安定化しつつある昨今においては、ともすれば新たな現代の邪悪を創出しかねない状況であるが、哲学の世界に踏み込んで価値を真摯に論じ、真に優れた設計のあり方を追求した本書自身の価値もまた、30年以上にわたる人工物工学研究の一つの成果を示すものとして大変貴重なものと考えられる。
【書評】神戸大学 大学院システム情報学研究科 システム情報学専攻 貝原俊也 教授
設計工学とは、一般に、製品やシステムの設計プロセスを、科学的および技術的な観点から研究し最適化する学問分野として捉えられる。そしてこれらは、どのように創るべきかという科学的問いに関する方法論として位置付けられる。ここで設計の本質は、冒頭の前書きにもあるように、なぜそれを創るのか、また何を創るべきか、という人の思考に根付いた「価値」の概念と深く結びついたものであり、これは工学の範疇を超えていることから、従来の設計工学では積極的に取り扱われてこなかった。しかし、人間中心の社会実現に向け、今や設計において価値を論じることの重要性が認識されるようになっている。このような時代の要請を受け、本書「設計と価値の共創論」は、設計の本質と理想について、価値に対する哲学的な論考を踏まえ総括するという極めて野心的な内容を取り扱っている。このように聞くと難しく思えるかもしれないが、本書では、今後の社会にふさわしい設計を可能とする人材育成を目指し、設計の類型紹介から始まり、人の思考の特徴整理や、現代社会における価値論について、設計の視点から分かりやすく紹介している。またその実用化の例として、サービスの設計や社会システムの観点からの現状と今後の可能性についても示されている。
以上のように、本書は、多くの技術者にとって、今まであまり語られてこなかった設計の本質を理解することができる極めて価値の高い良書である。
読者モニターレビュー【 みた 様(業界・専門分野:ウェブ開発)】
本書は幅広い設計手法やその考え方を知りたい人にお勧めします。
1~3章ではモノづくりにおける設計や設計物(プロダクト)の価値がどのように考えられてきたか、工学のみならず歴史・哲学の観点からも多様に論じられています。
4~8章はさまざまな設計開発手法について整理され紹介されています。
9~10章は筆者人らによる今後のものづくりとその価値創造の在り方について1~8章をまとめつつ、提言している内容でした。
私自身は工学系大学出身かつ製造業に従事していたこともあり、設計開発手法に関しては既知の内容が多かった部分はあります。また、その内容に関しても扱われ方がやや古いものもあり、あまり現場をご存知でないのかなと思える記述もありました。
一方で、哲学の観点からものづくりやモノと人とのあり方を論じている本はあまりなく、本書はそういった点から評価できる部分が多々あると思います。
特に、人間とプロダクトがどのように共生してきたのか、そしてプロダクトがどのようにあるべきなのかといった提言部分は、非常に読み応えがありました。
私自身は歴史分野・哲学分野にはめっぽう疎く、非常に興味深く読めました。そうした内容は設計に関わる社会人のみならず、学生さんにとっても、勉強になる点が多いと思います。
【書評】村上輝康 様(産業戦略研究所代表)
「価値」を、人の欲望を満たし、人に満ち足りる感情をもたらす効果の概念とし、「設計」を、価値を満たすうえで有用な人工の働きを実現する手段を考察し、それを人工物として実現すること、と定義して、設計論の枠組みの中で、価値を真正面から工学の対象にしようとする野心的な快著である。工学や設計の世界が、主観の入る取組みにならざるを得ないため、可能な限り避けてきた「価値」の議論を、「設計」がもたらしたかもしれない「現代の邪悪」の蔓延が、実学を志向する「設計」に鋭く突き付けている社会からの問に、主著者の下村芳樹(以下、下村)は、半世紀に亘る人工物研究の蓄積を武器に、4人の道連れとともに挑もうとしている。
下村は、幼い頃から、「なぜこれ(人工物)は存在するのか?」「なぜこれは必要なのか?」という根源的な問いを持ちつつ、玩具をつぎつぎにバラバラに分解することで、答えを求めようとしていたそうである。そのようにして感じたモノの存在の意義や必要性に対する「違和感」を、下村は捨て去ることなく育て続け、設計工学、設計学、設計論の研究生活の中に持ち込んでいったという。
本書は筆者には、下村が、その「違和感」から出発して、吉川弘之という日本を代表する設計研究者と出会い、その問いに人工物や設計研究という経路を通じて応えようとした、壮大な人生をかけたオデッセウスの航海記に見える。
その航海においては、今は亡き上田完次とともに価値の変遷をたどり、設計の形態とアブダクションについて小括し、サービスドミナント・ロジックの影響を受けて、共創の設計論を展開する。そして、Geelsから学んで、日本におけるレジームとニッチイノベーションの実存的な共進化に、ランドスケープが後追い的に引きずられていく構造を喝破するが、その航海は、価値と時間軸についてのオリジナルな考察によって最高潮に達し、時間軸設計に対する強い期待をもつに至る。そして、オデッセウスの帰還の最終寄港地となるのは、プラトンに再帰した「理念的設計(プラトニックデザイン)」であり、その実現にむけての、オリジナルなプロセス規範である。
その航海においては、下村が次々に問いを発し続けるが、本書は、その問いに直接応えようとするよりも、それらの問いに対して応えようとした既存の方法論や手法を幅広く渉猟するという方法をとっている。このため本書は、プラトンからカント、ハイデッガーを経て、ウィトゲンシュタイン、パース、吉川まで、ブレインストーミングから、一般設計論を経て、サービス工学、トランシジョンマネジメント、リビングラボまで、設計論の枠組みで価値を研究しようとする時に参照されるべき方法論や手法の、ほとんど全てを尽くして体系化するものともなっている。快著たる所以のひとつである。
実は筆者は、「設計と価値の共創論」という著作を手にして、あるシリアスな問題意識をもってこの著作を読んだ。今、筆者は、第5回の日本サービス大賞の審査活動に入ろうとしているが、本書が、優れた価値の設計をしているサービスイノベーションを探索し評価する際の、新たな羅針盤を与えてくれるのではないか、という実利的な問題意識である。
筆者は、可能な限り科学的に審査をするという意図のもと、それに価値共創のサービスモデルを唯一の拠り所として取り組んでいる。おそらくひとつ上のレイヤーで「価値の共創論」を展開する本書が、強力な実効的な示唆を与えてくれるのではないかと期待したのである。
その期待に対しては、結局、手触り感のある形で筆者を牽引してくれる方法論を獲得することはできなかったが、何故できなかったかを考えることで、本書のアプローチの特徴を理解することともなった。
価値共創のサービスモデルでは、サービスの提供者たる企業と利用者たる顧客という二つのアクターが、知識とスキルの粋を尽くして共創しようとする系の中で価値共創を考えているが、本書においても特に第6章「サービスの価値と設計」以降でこの構図が頻繁に扱われる。
しかしながら、そこには常に「設計者のまなざし」があまりに横溢しており、筆者には、企業と顧客という構図は、設計者と設計対象という構図の中に埋もれてしまっているように思えてならないのである。
本書には、下村の薫陶を受けた、赤坂文弥らの若い研究者も参加している。私には、設計論の研究者というよりもサービス学やサービスデザインの研究者にみえる人たちである。彼らには今後、本書において下村が道筋を創り上げた「設計論における価値研究のフロンティア」を拓いていくとともに、サービス学やサービスデザインにおける「価値」研究に真正面から立ち向かって、最終的には、実務に役立つ方法論を打ち立てて欲しいと思うのは、筆者の我儘があまりに過ぎるであろうか。
「新刊紹介」欄 (p.63) にて掲載いただきました。
【表紙】土木学会誌,2024年,109巻(11号),撮影 山崎エリナ © Japan Society of Civil Engineers
-
掲載日:2024/09/03
-
掲載日:2024/08/01
-
掲載日:2024/07/31
-
掲載日:2024/07/08
-
掲載日:2024/07/08
-
掲載日:2024/07/05