農業食料工学会創設80周年事業(1937年に創設された農業機械学会の時代を含む)として,内野敏剛前会長からハンドブック編集委員長の大役を授かった。これまで1957年10月に農業機械ハンドブック(創設20周年事業,二瓶貞一委員長)が創刊されて以来,1969年11月に改訂版(鏑木豪夫委員長),1984年3月に新版(創設45周年事業,江崎春雄委員長),そして創設60年目の1996年2月に刊行された生物生産機械ハンドブック(並河清委員長)と歴々の先輩方が積み上げてこられた理論,知識,技術,経験が集大成された学会を挙げてのシリーズである。
当学会のアクティビティは,1970年代までは農用原動機,精米機,籾すり機,脱穀機,乾燥機,耕うん機,トラクタ,コンバイン,田植機等の機械化に関わる研究や技術開発が主であった。水田作に関わる機械化体系がほぼ一通り完成したその頃,各大学の農業機械系の研究室にポストハーベーストの分野となる農産加工に関わる研究室が新設されるようになった。それと同時期に,近赤外分光法やマシンビジョンに代表される非破壊検査の研究が始まり,センシング,自動化,ロボット化,施設園芸や植物工場の装置化等のテーマが当学会でも目立ち始めた。1985年からは全国の国立大学の農学部改組が始まり,その後全国の大学に改組が広がるとともに,「農業生産」に代わり,「生物生産」という言葉が使われ始めた。その理由は「生物生産」は「農業生産」を含み,より広い範疇を示す言葉という解釈であり,一種のブームのようになった記憶がある。前ハンドブックの編集委員長である並河清先生のまえがきにも,そのハンドブックのタイトルについて触れられている。
21世紀に入ると,今度は情報化の波が押し寄せ,精密農業,リモートセンシング等の技術,さらに生産のみならず流通,消費までの技術が「6次産業化技術」として対象となり,「農」と「食」という意識が生まれるようになった。それと同時に,これまでのマクロスコープ的な技術に留まらず,細胞や含有物質等を対象にして,分子レベル,ナノレベルのミクロな研究も行われるようになった。このように大学や研究機関の研究が非常に多様化する一方で,当学会に所属する企業の多くはアジアを中心とした海外での生産活動を支援する技術開発を行うようになり,国際化に拍車がかかった。
近年では前述の「農」から「食」の情報化の流れに,IoT,AI等の技術が加わることによって,スマート農業,ドローン等の新たな技術革新の要望が大きな潮流となって押し寄せている。この背景には,アジア,アフリカ諸国の人口増加に伴う食料・エネルギー不足,環境汚染が懸念される中で経済成長する流れと日本を含めヨーロッパの先進諸国における人口減少,労働力不足に伴う生産力低下を危惧する流れの二つの異なる流れが現在併存する状況にあり,IoT,AI等がグローバルな視点で問題解決可能な技術としてどちらの諸国にも共通する取り組むべき課題となったことが挙げられる。
本学会は前述の多様なアクティビティを抱えるようになったことから,2013年に大下誠一元会長の下で農業機械学会から農業食料工学会と改称された。そのことより,本ハンドブックも新学会名を冠した名前とすることで編集委員の合意を得た。さらに,以前の当学会との相違点は今年度(2019年度)より一般社団法人となったことである。同時に,学会の国際化を推進するため,海外に居住する外国籍の個人を「海外会員」という新たな会員制度で受け入れることとなった。そこで,「海外会員」および日本の技術に興味を持っているが日本語を読むのが困難な方のために,当学会ホームページの英語ページに英訳した目次を公開することで,当学会が保有する技術の概要を海外の方にも示している。
本ハンドブックは2部構成となっており,1編から5編までの総論的内容と6編から17編までの各論的内容からなる。1編から5編はこれまでにない本ハンドブックの特徴的な編で,各編の概要についてキーワードを含めて列記すると,第1編:地球上でサスティナブルな農業を営むための機械化・精密農業,安全管理,第2編:食料生産と環境維持のトレードオフ問題,生産が土・水・大気に与える影響,第3編:農業に関わるエネルギー資源,エネルギー変換技術,第4編:農業機械の自動化・ロボット化・情報化,AIやIoTをからめたスマート農業,第5編:収穫後の品質管理・評価技術のための農畜水産物の物理的・生理的・化学的特性等となる。これらを読んで頂ければ,多様化した当学会のアクティビティの現状,課題ならびに将来のあるべき姿が垣間見られる。続いて,6編からの各論ではこれまでのハンドブックの目次を基に再編し,それぞれの項目で近年開発された新たな技術が加えられている。
このように,本ハンドブックは我が国で蓄積されてきたアジア型の小規模集約的農業技術,高品質な食料生産技術,ならびに今後期待される研究や技術開発についての集大成と言え,19名の編者と207名の執筆者によって詳述された努力の結晶である。次世代を担う研究者,技術者,大学や高専の教員ならびに学生諸氏が本書を礎にしてアジアを始めとする世界の食料-環境問題を解決可能とする新しい技術開発に挑むことを祈念している。
最後に,長期間にわたりご尽力頂いた編者ならびに執筆者各位にお礼を申し上げるとともに,忍耐強く支えて頂いたコロナ社の関係各位に深く感謝の意を表する。
2020年1月
一般社団法人 農業食料工学会 会長
農業食料工学ハンドブック編集委員会 委員長
近藤 直
農業食料工学ハンドブック
- 農業食料工学会 編
- B5判/1,108頁 本体36,000円+税
- 箱入り上製本