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橋梁デザインの実際 - その歴史から現代のデザインコンペまで -

橋梁デザインの実際 - その歴史から現代のデザインコンペまで -

欧州における鉄筋コンクリート橋の歴史,ローベル・マイヤールの橋梁デザインについて解説し,現代の橋梁デザインの実例,デザインコンペの事例を紹介し,デザインのプロセスを3段階に分けて,橋梁デザイナーの注目点を解説した。

発行年月日
2018/05/11
定価
3,520(本体3,200円+税)
ISBN
978-4-339-05257-2
在庫あり

レビュー,書籍紹介・書評掲載情報

増渕基 橋梁エンジニア(ドイツ在住),博士(Dr.-Ing.)

掲載日:2018/07/20

本書のレビューの執筆依頼を頂いたのは2018年5月,ロシアでサッカーのワールドカップが始まろうかという時だった.南ドイツに住む私は,大会前最後の日本代表の試合が近所のインスブルックで行われると聞いて,応援しに行くことにした.

スタジアムまでの車を走らせながら,ふと,どうすればもっと日本の橋梁デザインが良くなるかを考えていた.

とある世界的なスターエンジニアという「個」が,長崎に美しい歩道橋を架けても,それだけで日本の橋梁デザイン全体が劇的に良くなるわけではない.

景観工学の発展とともに,「全体」の底上げは確かにされてきた.しかし,それで世界から注目を受ける美しい橋が日本に次々と生まれてきたかと言えば,そうとは言えない.

試合開始のホイッスルの音で,ハッと我に返り,目前のフィールドに目をやる.

二十年前から比べれば日本代表は本当に強くなった.聞くところによると,海外リーグでプレーする選手が大半を占めているそうである.高い情熱と志を持って,リスクを恐れず海外で挑戦する.これは「個」についての話.一方,大会直前での代表監督解任のニュースが話題になったが,つまるところこの騒動の争点は,継続的な哲学の欠如,ひいては将来的なビジョンの欠如うんぬんであったように思う.これは「全体」についての話.個と全体が絡み合いながら,日本代表はここまで強くなってきたのであろう.

ところで,「個」と「全体」の関係性と言う意味では,橋梁デザインでも同じことが言えるのではないか,と思い至ったのは,試合終了間際,香川選手がダメ押しのシュートを決めた時だった.

さて,前置きが長くなったが,本書である.

フランスやドイツで起こったコンクリートの黎明期から,スイスのマイヤールの挑戦,ドイツのアウトバーンに始まる橋梁景観設計の萌芽,と多岐に渡るテーマが取り上げられた前半.そして日本で著者の鈴木さんが設計されてきた橋梁デザインについて書かれた後半.

本書はこのように国と時間,人をまたぐ幅の広い論考が一冊にまとまった大変ユニークな本である.橋梁デザインの歴史あるいは教科書であり,著者の作品解説集でもある.章ごとに分かれていて,それらは短かくまとまっているので読みやすく,どこからでも読み始めることができる.

前半のこの一見,散文的とも言える多岐に渡る論考を,橋梁デザインにおける「個」と「全体」という点から整理してみよう.

「個」の事例としてスイスのエンジニア,ロベール・マイヤール(Robert Maillart,1872-1940)が取り上げられている.

高い情熱と志を持って,リスクを恐れずに挑戦し続けたエンジニアとして,マイヤール以上の人物はいない.サルギナトーベル橋,シュバントバッハ橋,テス橋,・・確かにマイヤールは人類史に残る傑作を残してきた.しかし,マイヤールの真骨頂は,エンジニアとしてのその生き方にある.彼は生涯に渡って,当時新材料であったコンクリートの,最もエレガントな構造形態を探求したのである.

前章のコンクリート黎明期の歴史は,このマイヤール考のプロローグとして書かれていると考えて良いだろう.本書で明らかになるのは,今まで光が当てられてこなかった面,当時の設計コードとマイヤールの橋との関係である.当時の権威に対しての,マイヤールの気骨稜稜の精神を明らかにするこの論考は,国際的な視点から見てもユニークで価値の高いものと言える.

一方,橋梁デザインの「全体」の事例として,ドイツのアウトバーンの歴史が取り上げられている.

よく知られているように,アウトバーンの建設はナチスの経済政策の一環であった.世界で初めての本格的な高速道路ネットワークであったことや,速度無制限の道路であることがよく知られているが,土木インフラとしては特に,その設計理念によって高い評価を受けている.

税金からなる公共事業は経済性や合理性が優先される.道路建設においては,ある二点を"最短距離で"結ぶのがセオリーであるが,アウトバーンは二点を"優雅に"結びつける,という理念のもとに設計された.「道路によってもまた,ドイツをより美しくしなくてはならぬ」というコンセプトのもと,設計システムが構築され,設計者の育成も行われた.

このシステムから生まれた一人が,20世紀の橋梁エンジニアの巨人フリッツ・レオンハルト (Fritz Leonhardt,1909-1999)である.構造エンジニアリングの技術的な発展に大きく貢献した一方で,橋梁美とでも呼べる設計哲学を発展させ啓発した.ここに,美の設計哲学が生まれたのである.

本書では,2000年代からマイク・シュライヒ(Mike Schlaich, 1960-)がベルリン工科大学で試みている教育についても紹介されている.この基盤には,レオンハルトから脈々と受け継がれてきた哲学とシステムがある.半世紀を経てもなお色褪せることのない,橋梁デザイン「全体」としての哲学の強さと継続性がここで明らかになろう.

以上のように「個」と「全体」と分けて考えれば,なぜ著者がこれら多岐に渡る論考を一冊の本にまとめたかが分かる.

橋をデザインするということは,ただのインフラにすぎない橋梁を,文化の中にインストールしようとする試みである.シュライヒらの言葉を借りれば,インフラは「文化の中で位置づけられることにより,はじめて技術的にも機能的にも完全なものとなる」*のである.それには,「個」の資質と情熱に加え,「全体」として優れた哲学とシステムが必要である.技術だけではなく景観だけでもない.「個」と「全体」はまるで,縦糸と横糸のように絡み合い,橋梁文化を成熟させるのである.

まるで大学の教科書のような,飾り気のない装丁の本書は,そういった複雑だけれども本質的な視点から,橋梁デザインを論じている.橋梁デザインに興味のある方は,本書を読んで,深くて楽しい橋梁デザインの"実際"に触れてみてはいかがでしょうか.

増渕基 橋梁エンジニア(ドイツ在住),博士(Dr.-Ing.)
ホームページ: http://masubuchi.de/

(参考文献)
*ドイツ鉄道 (編集), ヨルク・シュライヒほか (著), 増渕 基 (訳) :鉄道橋のデザインガイド: ドイツ鉄道の美の設計哲学,鹿島出版会 (2013)