土木学会に土木計画学研究委員会が設立されたのは1966(昭和41)年である。設立の目的は,「土木計画のあるべき姿,その問題点を検討し,併せて計画に関する調査,策定,研究等を行うこと」としている。土木計画学は,その誕生の瞬間から,現場の視点から,社会基盤に携わる当事者が直面している課題や問題をまるごと把握し,その解決を目指して具体的な処方箋を現地の人たちと一緒に考えていくというきわめて実践的な工学として発展してきた経緯がある。伝統的学問は,すべからくそれ自体の中に方法概念,方法論という学問体系を包摂しているのがつねである。しかし,実践的学問として出発した土木計画学は,それ自体としての固有の方法概念,方法論を体系化するという方向で進化を遂げてきたわけではない。むしろ,土木工学だけでなく関連する分野であるシステム工学,経済学,心理学,社会学等々,関連する伝統的学問分野の研究成果を積極的に活用し,目の前にある問題解決に向かって貢献する。それと同時に,現実問題への適用という応用研究の成果を用いて,逆に,それぞれの学問分野の発展に貢献する。さらに,その成果を土木計画学が対象とする現実問題に対して適用していく。このような実践的学問としてのPDCA サイクルを展開していくことにより発展を遂げてきた。このため土木計画学研究委員会設立当初より,土木計画学の固有の領域があるのかという問題,言い換えれば,土木計画学とは何かという問いを,それを学ぶ研究者や専門家が,自らつねに問い求めることが義務付けられたのである。土木計画学とは「土木・計画学」か,あるいは「土木計画・学」かという議論が起こり,それぞれの立場から土木計画学の存在の論理と学問的追及の必要性について論じた。土木計画学は問題中心の発想に立つがゆえに,それは土木計画・学でなければならないことは論を待たない。それと同時に,土木計画学の科学化,問題解決の客観化を可能な限り達成するためには,問題・課題別の計画学に共通する普遍の原理を求めていく土木・計画学でなければならない。
半世紀にわたる土木計画学の歴史の中で,土木計画の手法論,方法論の開発に関わる研究発表が主流を占めてきたことは否めない。土木事業は,一人の研究者や技術者の手で成し遂げられるようなものではない。個人の研究活動で成し得ることは,問題の発見や新しい分析結果や政策の提示,土木計画技術の開発等,土木事業の実践全体から見れば部分的貢献にすぎない。しかし,土木計画学に携わる研究者,専門家や技術者は,土木・計画学のみに興味を持っているわけではない。土木事業が抱える問題や課題を見据えて,その解決を模索するという動機付けを持っている。いわば,土木計画・学と土木・計画学の間を行ったり来たりする。個々の土木計画学プロフェショナルが切磋琢磨して成し得た貢献を踏まえて,それを土木計画の高度化と実践のための総合的知として集大成していく。さらに,実践の結果得られた課題を,土木計画学プロフェショナルのための研究課題としてフィードバックしていく。土木計画学研究委員会は,このような土木計画学研究と実践の橋渡しの場として,過去半世紀にわたって活動を続けてきたといっても過言ではないだろう。
2016(平成28)年に,土木計画学研究委員会は50 周年を迎えた。本ハンドブック(以下,本書)は,土木計画学研究委員会50 周年を記念して,土木計画学の分野で発表されてきた研究成果を1 冊のハンドブックとしてとりまとめることを目的としている。しかし,過去50 年間において,土木計画学研究委員会が開催する研究発表会,ならびに,土木学会論文集や土木計画学研究・論文集をはじめとして,関連する論文集で発表されてきた研究成果は膨大な量に及ぶ。これらの土木計画学の研究成果を包括的にとりまとめることは不可能である。本書の編集に当たっては,土木計画学ハンドブック編集委員会を設立し,可能な限り新進気鋭の委員の方々に原稿の執筆をお願いした。併せて,土木学会計画学研究委員会の中に,土木計画学ハンドブック編集小委員会を設置し,土木計画学研究委員会の御意見を可能な限り反映させる努力を行った。もとより,本書で土木計画学分野のすべての研究成果を網羅することは不可能である。本書で取り上げられなかった重要な研究成果も数多い。各章の執筆に当たっては,若手研究者の自主性を尊重したため,本書では比較的最近の研究成果に偏りがあることも認めざるを得ないと思う。土木計画学研究委員会設立の目的に謳われる「土木計画のあるべき姿」を論ずるためには,「社会そのもののあるべき姿」を論ずることが不可欠である。土木計画学という学問分野では,「よりよき社会」に関して自由な意見を発表し,それについて議論する場が開かれている。このような「よりよき社会」に関する議論は膨大な量に及ぶため,本書でとりまとめることは不可能である。このような「よりよき社会」に関するビジョンに関しては,土木計画学プロフェショナルが貢献した数多くの計画実務や政策論議,学界等で発表された膨大な数の論文や報告,さらに委員会メンバーらが出版した成書等を参照してほしい。また,土木計画学の一分野を構成する土木史に関する研究事例に関しても,同様の理由で割愛せざるを得なくなった。
本書は,2 編構成になっている。第Ⅰ編では,土木計画学の基礎理論について紹介する。具体的には,基礎理論として,計画論,基礎数学,交通学基礎について説明するとともに,土木計画学の関連分野として経済分析,経済モデル,費用便益分析,心理学,法律の分野の基礎的理論について紹介している。土木計画学の基礎的知識を修得したいと考えている読者やこれから土木計画学プロフェショナルとして活躍したいと考えている方々は,第Ⅰ編に書かれている基礎的理論に精通していただきたいと考えている。第Ⅱ編は各論であり,土木計画学を構成する各分野における研究成果を取りまとめている。言い換えれば,土木計画学プロフェショナルたちが,問題解決に当たって利用可能なレパートリー群が示されている。その内容として,国土・地域・都市計画,環境都市計画,河川計画,水資源計画,防災計画,観光,道路交通管理・安全,道路施設計画,公共交通計画,空港計画,港湾計画,まちづくり,景観,モビリティ・マネジメント,空間情報,ロジスティクス,公共資産管理・アセットマネジメント,プロジェクトマネジメントを取り上げることとした。これらのキーワードは,土木計画学を構成する主要な分野であり,いまも土木計画学プロフェショナルにより,精力的な研究努力が蓄積されている分野である。第Ⅱ編は,いわば土木計画学の研究フロンティアに関する研究レビューを紹介している。第Ⅱ編に含まれる各章から,読者には近年における土木計画学の研究内容や今後の研究の方向性に関する情報を獲得していただければと考えている。
土木計画学ハンドブック編集委員会では,本書をとりまとめるに当たって,土木計画学のすぐれた実践事例について紹介すべきかどうかに関して議論を重ねた。これまで重ねて言及してきたように,土木計画学が土木計画の実践を志向した学問である以上,本書にすぐれた土木計画学の実践事例を報告すべきであることは論を待たない。もちろん,土木計画の実践に関しては,官民問わずおびただしい量の事例が存在する。しかし,土木計画学の実践研究は,土木計画に関する実践の記録ではない。土木計画学プロフェショナルたちが,どのように対象となる問題を認識し,問題の解決プロセスの中で出会った困難にどのように立ち向かい,最終的な結論に至ったのか,という土木計画学の実践については,ほとんど記録が残っていないのである。このような土木計画学の実践,言い換えれば学問の実践モデルに関しては,例えばケース教材という形態で記録を残すことは可能であろう。しかし,土木計画学は,土木計画学に関する実践自体を研究対象としてこなかったのである。だからといって,土木計画学プロフェショナルが,土木計画学の実践を怠ってきたわけでは決してない。日夜,土木計画学の実践に関して思い悩み,研鑽を積み重ねているのが正しい理解である。土木計画学が対象とする問題は,規模が大きく,しかも複雑であり,一人の土木計画学プロフェショナルで対処可能なものではない。対象とする社会の問題を解決するための組織的プラットフォームが形成され,これらのプラットフォームが社会事業として,土木計画学の実践を行っていると考えることができる。また,土木学会土木計画学研究委員会自体が,土木計画学の実践的知識に関する情報交換や切磋琢磨の機会を与える場となっている。また,土木計画学のレパートリーの蓄積やその実践に関する方向性を議論する場でもある。すなわち,土木計画学自体が,土木計画学の実践を行っているのである。このような議論の結果,本書において,土木計画学の実践事例を紹介することを断念した次第である。むしろ,土木計画学の実践に興味を持った読者には,土木計画学プロフェショナルとして,土木計画学の実践の中に飛び込んでいただきたいと思う次第である。
編集に当たっては,土木計画学研究委員会の中に土木計画学ハンドブック編集小委員会を設置し,編集方針や編集過程の時間管理を行った。本小委員会活動に対して,適切なご助言・ご支援いただいた歴代の土木計画学研究委員会委員長,谷口栄一先生(当時京都大学),桑原雅夫先生(東北大学),屋井鉄雄先生(東京工業大学)ならびに副委員長,幹事長,および委員の皆様に感謝の意を表したいと考える。さらに編集委員会の幹事をお引き受けいただいた赤羽弘和先生(千葉工業大学),多々納裕一先生(京都大学),福本潤也先生(東北大学),松島格也先生(京都大学),各節の編集をお願いした編集担当主査の先生方,ならびに執筆者の皆様に感謝申し上げる次第である。最後に,本書がコロナ社創立90 周年を記念して出版されることは,執筆者一同にとっても,このうえない名誉である。本書の出版の編集にあたって,執筆者各位との打ち合わせの労をお取りいただいたコロナ社に深甚の感謝の意を表したい。
2017年1月
土木学会 土木計画学ハンドブック編集委員会
委員長 小林潔司
土木計画学ハンドブック
- 土木学会 土木計画学ハンドブック編集委員会 編
- B5判/822頁 本体25,000円+税